看護師の求人をご紹介
一緒に勉強していた人の中には、中学校出の若い大工さんも何人か交じっていました。
皆作業着のまま駆け込んできて、頭にはのこぎりやかんなの屑がいっぱいくっついたままで、稚拙な文字で図面をかいていましたが、一人ひとりがだんだん様になって合格していったものです。
「続ける」ということは偉大な財産だと思います。
ふらふらになりながら臨んだ製図試験の本番は、課題が「美容室」の設計となっていて、理容室ならともかく美容室には入ったことがない私には、これまた難題でした。
それでも3年目にして何とか2級建築士の合格通知を手にすることができました。
最後のとき2級建築士の合格通知を受け取ったのが昭和60年12月です。
選択定年制による退職勧告を受けたのが翌昭和61年5月、経営士会の全国研究会議で論文を発表したのが7月、母を亡くしたのが8月、従業員全員の転職や退職の手配を済ませたのが9月末でした。
母の遺骨を抱き広島駅のプラットホームに立ったのが10月31日。
子供の手を引いて、住んだことのない自分の家に人工透析寸前の体で帰ってきたわけですから、それはそれは言葉に言い表わせないくらい大変なことでした。
最後に残ったのは経理の責任者と私の2人だけでした。
彼は会社からの手配で、Tの関連会社への再就職が決まっていました。
あるとき彼は、「Tに入社した私が、何であんな関連会社に行かなければならないのか」と言って悲憤糠慨しました。
即座に私は、「そんなに嫌だったら、関連会社に行くのをやめて、自分で何かやったらどうか」と言いました。
しかし、本人の返事は「自分でやる自信はない」ということです。
「先方の会社はいやいやながらでも本社の依頼で君を採用するのに、いまのような気持ちで先方に行ったら、今度はそこで首になるよ。
僕のようなものを拾ってくれてありがとうという気持ちを持たなければ」と意見したものです。
この気持ちの切り替えは大きな意味を持ちます。
多くの人たちがリストラという局面に直面し、つい先ほどまでは予想もしていなかった新たな道を歩まざるを得ない状況を迎えています。
その時に、どう自分の気持ちを切り替え頑張っていくか、それは決して外的な要因ではなく、自分自身の問題です。
ともすれば、すべてを外的要因として決め付けてしまい、問題が先送りにされるだけになってしまうようですが、くれぐれもその判断を誤ることがあってはなりません。
私の勤務していた中国支店も、人員の削減に伴い広島事務所と名称が変わり、その広島事務所も昭和61年10月31日に閉鎖することが決まり、その日をもって私は退職することになりました。
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